動くことから始まる何か 川口 敦子

映画評論家の川口敦子さんより、ご寄稿を頂きました。

動くことから始まる何か
Text by 川口 敦子

 昔は――なんて書くと年寄りじみていやになるが、でも、それでも書いてしまうと、昔は洋服だってこれと思った店めがけ細い路地や遊歩道脇の裏道まで歩きに歩いて行ったものだった。青山三丁目の交差点からキラー通りをくだって鬱蒼とディープな辺りに向かう。渋谷の公園通りは消防署の道に向かう経路にすぎなかった。そうやってめざして通った店にはきっと他とは違う何かがさらりと置かれていた。
 みんなと一緒の安心よりは少し異なる何かに惹かれる冒険の心を満たしてくれた。独自のクールが光っていた。そうやって他にない何かを差し出してくれる場が(それを発見したのだといった思い込みや錯覚も手伝って)おしゃれに憧れる小僧や小娘の魂を鍛えてくれたのだった。

 今では駅ビルやファッション・ビル、はたまた匿名性というブランド力とコストパフォーマンスで売る大型品揃え店に行けば、暑くても寒くても雨が降っても暇がなくても一箇所でとりあえず何かを調達してしまえる。そんな便利さ気安さが当り前となって、見回すとめざして通った一軒、また一軒が消えたり別種のものになっている。
 寂しさを噛みしめながら安易さについ負けてとっておきの場に通わなくなった自分が実はこの悲しい現状の元凶なのだと気づいて愕然とする。知らないうちに変わってしまった何か、失ってしまった大切なもの、その取り返しのつかなさをもう一度、噛みしめる。

 前置きが長くなったが、映画界で今起きている待ったなしの事態というのも実はこれとよく似ている。六本木ヒルズの前を通る度にああ、そうだったと、そこにあったシネヴィヴァンの敷居をまたぐ度、ぶるっと全身をつきぬけた緊張が甦る。
 そこで知ったハリウッドだけではない映画の多彩さ、多様さを思う。そのために不便でも通った、通う甲斐があったミニ・シアター、単館系映画館でそこにしかない一本、一本と“勝負”した。そういう気風が東京に限らず浸透していった。ハリウッドだけでもメイジャーだけでもなく北欧、中南米、中東の小さな新作も当り前にかかっていた。世界のどんな映画祭にも優る豊かさ、貴重さがあった。
 シネコンの便利さだけでは得られない多彩さ多様さを享受した日本のそうした映画環境が21世紀の始まりと共に風前の灯と化し、今またさらにデジタル上映システムの導入断行でいっそう大きな危機に瀕している。35ミリフィルムが消滅する。独立系映画館や配給会社がふと気づくと“そして誰もいなくなった”状態になる。そんな日が近未来SFでなく迫っているのだ。

 どうしよう。どうしたらいいか。国や地方自治体や公共組織の助成金を得る手はひとつあるだろう。本来的には映画を文化と認められる政府を選ぶ所から出直さなければならないのだが時間はない。
 ならばみんな一緒じゃつまらない、ハリウッド映画も小さなインディの一作も見たいと思う同志がまず声をあげて、隣のみんな一緒派を“オルグ”する。映画の革命シネレボ!はそんなナイーブにすぎる努力を疎かにしては実現しないだろう。

 先日の東京フィルメックスに夫ニコラスの「ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン」とそのメイキングとしても興味深い自身の監督作「あまり期待するな」を携え参加したスーザン・レイが60年代末の熱が一挙に引き、個に内向した時代が続いた後で行動の季節が今また巡ってきたと発言していたこともこの際、大いなる励ましとして受け止めよう。

 もちろんインディ系の映画がつまらなくては話にならない。大作ばかりにメディアが靡いていてもだめだ。自戒をこめていえばいいものはいい、だめなのはだめと批評できる目と覚悟を研がなくては――。
 作り手も媒体も評論家も観客も映画とはと本気で問い直そう。映画館にしかない一期一会の経験を信じてそこに出かけよう。そうやって映画の居場所を共に闘いとることはできる。愚直に信じて動くことから始まる何か、始めてみよう。

川口敦子:映画評論家。キネマ旬報などに新作映画レビューを執筆中。著作に「映画の森―その魅惑の鬱蒼に分け入って」(芳賀書店)、訳書には「ロバート・アルトマン わが映画、わが人生」(キネマ旬報社)などがある。